top of page

Sさん&Yさんのお母さんにインタビュー

自立生活をスタートさせた2人の母親にインタビューをしてみました。

◎登場人物(4名)

ひ)・・・Sさんの母親

や)・・・Y君の母親

代)・・・いろは代表

副)・・・いろは副代


代)娘さん、息子さん達が自立して、3・4か月過ぎましたが、お母さん達の生活って変わりましたか?

ひ)大きな変化はないですが今までSの介護をやっていたから、物足りないなという感じはありました。でもこの時間をSからもらえたと思ってお父さんと2人で出掛けたいなと思っています。

や)私も5年間24時間ほとんどはYに付いていましたが、本当に肩の荷が下りたっていうのが一番。夫とコンサートに出掛けたりありえない生活が今始まってます。

今まで急にYがいなくなり、Yが自立して直ぐは、「ちゃんと食べてるかな?」とかそんな話だったんですけど、いま2か月たって逆に会話がなくなっていて。最近は犬の話で時間が過ぎてる感じですかね(笑)

代)いまアパートに行く機会はありますか?

ひ)1週間に1回くらいかな?私が行っちゃうとヘルパーさんの居場所がなくなっちゃうので、それも考えなくなくちゃなんないなと思いながら。

や)私は月1くらいしか行ってないですね。

代)Sさんのお母さんは行ったときは何してるんですか?

ひ)用事があっていくのでその用事かな。

副)泊まりに帰ってきたことはありますか?

ひ)この前帰ってきましたね。一泊だけ。私としては帰ってきてもらいたいですけどね。

代)Y君のお母さんも帰ってきて欲しいですか?

や)お正月くらいは帰ってくるのかなとは思っているけど。あんまり期待はしてないです。

でもYのことだから、逆にお正月はお正月で仲間と楽しみたいのなら、来ないのかなとか思いながら。半分半分な気持ちで。

代)初めて「自立生活センター」っていう言葉を聞いた時どう思いましたか?

ひ)私はそういうのがあるって聞いたのは、車イス業者の方から紹介されたので間違いはないだろうなと思いまして前に進むことができましたね。

や)市の生活支援の方から、そういうのがあるって聞いたんですけど、それを話してもはじめは全然見向きもしなかったです。

でも、たまたま知り合いに埼玉で自立支援をやっている方に会う機会があって、その時に車イスでの一人暮らしの様子を見せてくれて、それを見た時に「俺にもできる!俺は埼玉に行く!」って言いだして。でも、まだその時17歳くらいだったので、まだ早いというか、親としては手放せない。まだまだでしょ、なんて。

それから、生活支援の方に茨城にもあるって「いろは」を紹介してもらって、始めの頃はYも壁を作ってましたよね。

でも、自立支援のプログラムに行ってから変わったような気がしますね。

代)どう変わったと思います?

や)具体的にお金の使い方とか、ヘルパーとの関係とか勉強して、社会の仕組みとか、そういうのを全然知らなかったので、やっていける自信ができたんじゃないかなって気がします。

副)Sさんから、初めて親元を離れて生活したいと伝えられた時、正直どう思いました?

ひ)やれるものならやってみなって感じ。

絶対できないと思っていたから。行政にもそういうのはないし、出来る限り私が面倒見るしかないって思っていたから。今アパートにいること自体不思議で不思議で信じられないくらいですね。

代)お父さんの反応はどうだったんですか?

ひ)う~ん?て感じです。末っ子ですごく可愛がっていたし、あの体で絶対無理だろうって。でも、いろはと出会う前から1人暮らししたいって言っていたから、その希望を叶えてもいいのかなって段々思うようになりまして。

副)お母さん自身には反対したい気持ちはありましたか?

ひ)ありませんでした。いろはさんの所で宿泊体験があって、これなら大丈夫だって思えました。体験前は心配の方が8割くらいはありまして。ヘルパーさんとの衝突とか、いろいろ考えてしまって。でも練習をしてきてヘルパーさんとSが話をしていると、あーなんとか大丈夫なんじゃないのってなりましたね。

副)同じ質問ですがY君から自立生活したいと伝えられた時、正直どう感じました?

や)生活できるの?っていう不安が大きかったんですけど。よく考えてみても私より長生きするので、どこかでそれをしなきゃいけないっていう現実もあるので、それには若いほうが良いのかなって思いました。このまま5年、10年いって、何もできなくなるよりかは本人がやりたい気持ちが一番膨らんでいる時に、やらせたほうがいいのかなとは思ったんですけど、せめて二十歳までは待ってと言ってました。

代)お父さんは?

や)ずっと反対していましたね。そんなのは無理だ。Yのために作ったこの家どうするんだ?って。お父さんのほうが心配していましたし、ずっと反対していましたね。

代)その反対をY君には伝えましたか?

や)伝えましたね。だけどYは考えるより行動する派なので。でも、絶対に出ていく!の一点張りでした。

副)お母さんに反対の気持ちはありましたか?

や)反対はあまりなかったですね。ただ不安はすごくありました。

副)どのようなことが不安でしたか?

や)私がいなくちゃ何もできないという思いもありましたし。ただ、少し離れて考えれば、入院した時に国リハ(国立リハビリテーションセンター)で担当になった看護士さんがYのことを考えてくれてたんですが、これからは、いろんな人の手を借りて生きていくのだから、いろんな人に感謝の気持ちをもってみんなにやってもらうことを覚えなさい…というような話をずっとしてたんです。その時は、私はこの看護士さん何言ってるんだろう?くらいにしか思ってなかったんです。入院していた時は私がいないとダメくらいに思ってましたから。

やはり自立すると、いろんな人の手を借りながら生きている訳なので、その時の看護士さんが言ってた事が今になってこういう事だったのかと本当によくわかります。

ひ)私もそれ感じます。私も協同病院の看護士さんに、この子は凄い強い子だからお母さん大丈夫って言われたんですよ。その時は、え~?なんで大丈夫なの?って思ったんですけど、今思えば看護士さんは子供の事をよく見てたんだなって思います。

副)お子さんが一人暮らしで旅立つ日は寂しい気持ちはありましたか?

ひ)さみしいっていう気持はありました。少しずつ荷物が減っていくので、こういうことなんだなっていうのは実感しましたね。

や)その時はあんまり感じなかったんですけど、一週間くらいたって部屋ががらんとしてて。朝は起こされないし、夜も私は何すればよいんだろうって思ったときに、なんか寂しくなって出て行っちゃったんだなって。

ひ)私のお父さんは一か月くらいは、朝起きてきたら、「S起きろよ、時間だよ」って毎日言ってました。居ないのに。それを見たらじんと来ちゃって。お父さんも居ないのわかってるんですけどね。一人でしゃべってるんですよ。びっくりしちゃいました。

副)今後、どのように生きていってほしいっていう思いはありますか?

ひ)今、若い時にしか出来ないことをやってもらいたい。何でもいいから、今しか出来ない、この歳しか出来ないっていうことを無理しない程度に遊びを交えながらやってほしい。

や)何でもやっちゃうタイプなんですけど、いろんなことに挑戦してって欲しいなって。

ひ)たぶん私達のようなお母さん達は、考えることって大体一緒だと思うんですよ。心配する気持ちって。Yさんのお母さんも、私もそうですけど今が一番安心している状態だと思います。安心しています。

代)今だから言えると思うんですが、在宅介護をしてきてこのままの生活が続いて自分達がもっと年を取ったらって考えたことってありましたか?

ひ)ありました。私も母親が亡くなった歳に近づいてきたなって思った時に、この子の面倒を無視することはできないし、私たちが普通に考えたら先立っていくほうじゃないですか。残されたこの子はどうするんだろうってことを考えた時に、代表さん達からいろんな話をいただいて、親が抱えてたらダメなんだって思いました。

代)自分が一生面倒見ていくんだっていう覚悟はあったんですか?

ひ)覚悟はありました。

や)同じですね。もしあれなら、殺して自分も死ぬくらいのことは考えましたね。残していくと他の兄弟にYを面倒見てって丸ごと預けられないし、いざという時には二人で死んでいっちゃう日もあるのかなとか、ニュースとか聞くと、そういう現実わかるなっていうのは確かにありましたよね。

代)施設という選択肢を考えたことは?

ひ)全然考えたことないです。

や)ないですね。本人も施設っていうのを望んでなかったので。

代)Sさんのお母さん病気したことあるじゃないですか?その時も考えなかったんですか?

ひ)いや全然なかったです。私がやらなきゃこの子はダメだって思ってたから。それで私も元気になれたっていう部分もあったと思うんです。よくヘルパーさんに「よくあんたそこまで立ち直れたね」って言われちゃうんですけど。この子が居てくれたからきっと、やんなくちゃなんないっていう意識があったのかもわかりません。

代)Y君の母さんはどうですか?

や)入院してる時に、夫婦で何かあった時に施設に入らなきゃならないから、Yが住みやすい家を建てようっていうことで家を建てたんですよね。だから施設っていうのは全然考えてなかったです。住まいだけはきちんと確保しておこうっていう頭だったかな。Yがいる場所だけはちゃんとしておかないとっていうのは考えたかな。

副)お二人は自立を実現したんですけど、まだ周りには自立したくても出来ない人とか、自立っていうことさえ知らない障害者や親がいるんですけど、いま現在、在宅で介護を続けている、親御さん達に何かアドバイスがあれば聞かせてください。

ひ)実際に私の知っている人でいるんですよ。生まれながら脳に障害がある子なんで、ずっとお母さんが面倒を見てるんですね。たまたま話す機会があったんですが、そしたら「親子で一緒に入れる施設はないかな」って言うわけですよ。そのとき私もここまで出かかってたんですけど、いろはさんのことを言わなかったんですけど、そういうお母さんがいるのは確かなんですよ。

私も周りの人に助けられSも自立できるようになったんで、できればその子供さんもそういう風になってくれたらなって思うんですけど。

代)そうやって家で頑張ってるお母さんに対して何かありますか?

ひ)いろはさんみたいな所もあるんだよって。

副)Y君のお母さんは?

や)私もYのお兄ちゃんの同級生で知ってる方がいて小中学校は普通学校で、高校は支援学校にいって、今はお仕事してるんですけど、たまたま病院であって「Y君元気?」なんて聞かれて「今一人暮らししてるんですよ」って言ったら「えー!うちよりも障害重いのに一人暮らしってどういうこと?」ってやっぱり全然知らないんですよね。「こういうのが赤塚にあって」って話したら「なんとなく聞いたことあるけど」って言って。本当に全然知らないんだなってビックリ。

「●君だったら、手も利くし仕事も始めたから、独り暮らしもできると思うよ」って話したんですけど、もう親が自立させるという気持ちがすでにない感じなのか「そんなのうちは無理」っていう感じで。生まれた時から見ているから逆に親が離れられなくなってるの。やっぱり親のほうが離れられない、離れなくちゃいけないとか、なさ過ぎてビックリしちゃったんです。だから、これ以上言っても引かれちゃうだけかなって。

代)最後にお母さんたちのほうから言っておきたいことがあれば。

ひ)いろはさんがずっと続きますようにって(笑)ヘルパーさんが切れないでいてくれますようにって(笑)本当にヘルパーさんもみんないい人なのよね。

や)そう。ヘルパーさんもみんな若いじゃないですか?私の中でもヘルパーさんていうのは自分よりも年上のおばさんのイメージしかなかったので、それが普通だと思ったんですよ。でも代表さんにお会いしたら同性介助が基本って言われて「えー!?」って思って。若い人たちが一人で来て、手際よく一人でやってくれるところがね、感心するというか、それはすごいなと思って。みんなきちんと教育されているというか知識があって本当にスゴイなって思いましたね。

や)Yも自分のお兄ちゃん感覚で何でも話せるし、はじめちょっとパンツが見えるスタイルがあるじゃないですか?ジーパンおろして。その人が来た時にそんな感じだったから、「ああいう感じで介助するんだね」って、Yに言ったんですよ。そしたらYが「そんなね、制服着て来たら嫌でしょ?ああいう感覚で来られるから自分も気楽でどこにでも行ける」って。ヘルパーさんがどんなスタイルっていうのはないんだけど、街を歩いている普通のお兄さんが来てくれるから、自分の姿で街に行けるからああいう感じでいいんだよって。ピアスあったりとか髪の色とか。私にとっては、え~!?って感じなんだけどYはその普通さがイイっていう感じで。

ひ)きっとね。私もYさんのお母さんもそうなんだけど、子供の面倒を見ているじゃないですか。それってきっと親にとっての自己満足なんですよ。自分がいなきゃ、私がいなきゃっていう。

そうじゃないんだよねやっぱり。今思えば、自己満足。私にしかこの子は見れないってそう思ってたの。でも娘の自立生活見てきたら自分って、どんな考えしてきたのかなってね。

副)でも、それが親なんですよね。

や)親離れの大切さ、気付いてほしいですね。

代)今日は貴重なお話を聞かせてもらえました。ありがとうございました。



最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page