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Hさんのご家族にインタビュー

◎登場人物(3人)…母)自立生活を実現したHくんのお母さん。

兄)H君のお兄さん。H君といろはをくっつけた張本人。

い)いろはの代表。


い)H君が自立して3カ月経ちますが…今の率直な気持ちを聞かせてください。

母)一人暮らしが出来るとは思っていなくて。我が子が一人暮らしを始められたのは、まず驚きが先でその後は感激しています。今、3カ月経ってヘルパーの支援日誌を読ませていただくと何となく慣れてもきているのかな。

い)最初にH君を自立させたいとお兄さんから聞いたのはいつ頃ですか?また衝突とかしませんでした?

母)たぶん3年以上前になるかな。そういう道もあるのかな?可能なのかな?とも思ったし不安にもなったかな。

兄)食い違いというより、そもそもヘルパーを付けて一人暮らしのイメージが母にはあまりにも想像がつかな過ぎていたと思います。会話がかみ合わない方が大きかったかな。漠然とした不安感は母の中にもあったと思います。

い)CILを知ったきっかけは?

兄)求人誌に自立生活センターと書いてあったから弟も行けるかもしれないと思った。その後CILを知っていく中で弟も当然地域で生きていくべきなんじゃないかと強く思うようになって制度的にも使えるとわかったしお願いしたいなと。

何か施設入って変わったなと思っていて。あれこんな顔・表情していたっけかな?と漠然と思っていて、そしたら施設の中で靴下破くとかそういうとこが現実に起こってきて、これはいよいよ本気に行動起こさないといけないと思うようになりました。

い)施設から出て地域生活がうまく行かなかったらとかは考えませんでしたか?

兄)施設から出て、何も変わらなかったとしても施設にいたらそのままなので。何か行動を起こさないと結局変化もないし、本人にとって何が最善かもわからない。自立生活も1つの選択肢と思ったし、それを試さないでそのままにしておくというのは自分はおかしいと思っていました。

地域に出て、期待していたものとのギャップが生まれたとしても一人の人間が生きていくという事を考えた時に、生きて行く場所として施設という場所で暮らしていくのは何かおかしいんじゃないかと。

例え、福祉サービス量が十分じゃなかったとしても、やはり施設から出すべきだという考えは家族の中で話し合って決定していて、その上でいろはさんにお願いしました。

もし、家族介助での生活になったとしても、それは弟との暮らしのやり直しくらいに思っていました。なので、どんな結果でも後悔はしてなかったと思います。

い)自立に向けた支援が始まりました。もう引き返せないという新たな不安は生まれませんでしたか?

母)最初、初めてのことなのでどんな風になるかなと想像はつかなかったんですが、ヘルパーさん達がHに対して理解しようと努力している姿というのを、自立体験をやりながら感じていたので不安はあったが、うまく出来るかな、やっていってくれたらな。という希望も大きくなっていきました。

い)お母さんの不安が解消されるような一番のきっかけみたいのってあったんですか?

兄)たぶん、お盆の時期で自立生活体験室の予約が取れずに仕方なくヘルパーと実家で訓練した時に、夜中にHがトイレに立つたび、ヘルパーさんもパッと立って様子を伺っていた姿を間近で見られたというのかな。体験室にいないと見られないじゃないですか。それが大きいと話していましたね。

母)逆に体験室を取れなかったおかげで、実際家で見て、こういう感じなんだとわかってすごく安心しましたね。あれは良かったな。

兄)僕としても家でやってもらって実際見てもらった方が、自分が母に言葉で伝えるよりも手っ取り早いなと思っていたので家でやろうと言ってもらえた時によかったと思っていました。

い)いろは初の知的障害者の自立支援の感想とかはありますか?

兄)意外と何もわからないというところから入ってくれたのがよかったかなという気がしてます。自閉症、知的障害はこうですよね。という知識がないところから入って、Hの意志をどうやってくみ読み取っていけばいいんだ。という努力がCILのヘルパーだったら、そこら辺はどうにか見ようとしてくれるだろうと思っていたし、ちゃんと見ていてくれていたからすごくよかったかな。

い)お兄さんの中で自立訓練が始まってからこれなら行けると思った瞬間が何かあれば教えてください。

兄)変に聞こえるとあれなんですけど。関わってるヘルパーと話すとみんな個性もバラバラで意見も違ったし、皆テンション高めに私に話してくれるので、Hの支援をポジティブに感じているんだなという雰囲気みたいのを喋り方とかで感じられて。私は意外と、すぐによかったなうれしいなと安心でした。

いろいろトラブルもちょこちょこもあったじゃないですか。お醤油飲みそうになるとか、道路への飛び出しとか、トイレにフィルムとか流しちゃったりとかいろいろあったけど。それでも、皆が僕はこうだと思うんだよね。とか、ああだと思うんだよね。とか、どうすればいいんじゃない。と、みんなの口からポンポン出てきたので。ああ、これだったら大丈夫だという気持ちになっていました。

い)そうなんですね。

兄)何が正解かというのは家族でも難しいので、どれだけ考えられるかというか想像できるかという事だと思うので弟の場合は。今までやってた支援とはある意味方向が逆というか、管理という部分が必然的についてくる支援になってくるので、そういうことに対する疑問みたいなのがもっと強くヘルパーの中から出るかと思ったんですが以外にそれがなかった。それが結局Hの事を見ているからこそ、それがあまり出てこないのかなと思ったのでそれがよかったです。

い)自立後の家探しや生活介護先など…いろいろお兄さんにもお願いすることも多くて大変だったと思うんですが振り返ってみて一番大変だったのは?

兄)それはやっぱり家探しですね。労力が一番かかりました。

実際、動いた時間で一番多いのは家探しで、知的障害者の弟をアパートで暮らしたいと言った時にそこで断られることはないんです。ただ紹介される物件数も少ないし老朽化してたりとか、10年入ってないところでも知的障害者だというと大家さんがNOというところがすごく多くて、全部で30件以上とかは断られていますね。内見して断られることも10件くらいあって。あと大家さんがOKしてくれても、そのご家族が辞めるべきだと言って断られたケースも何件かありました。

兄)今の不動産屋さんはもう最後の最後で、そこから不動産屋さんと作戦を変えて、物件から探すのを一旦ストップして、事情を説明して理解してくれる大家さんから探そうという方向性に変わりました。

よかったのは昔から地元にあるような、生活保護受給者の人とかもお客さんとして扱っているような不動産屋だと、そういうところの方がむしろ物件を紹介してくれて。

兄)アパートを仲介してくれた今の不動産屋さんは、最初に私は説明されてもわからないので、直接大家さんに会って大家さんがいいっていえば私達はOKというスタイルだったのでよかったかな。

い)生活介護先を探すのにはあまり苦労しなかったんですか?

兄)そうですね。探していて3件くらい見学に回った時に、どこもやることが決まっている作業所が多くて、それが普通のスタイルなんだというのを始めてそこで知って。どうしようかと思っていた時に、今の事業所を紹介してくれる人がいて。

い)今のところに通わせようと思った決定打はありましたか?

兄)見学時の雰囲気もそうなんですが、施設長の人が1つ聞いたら10帰ってくるし、聞いてもないのにいろいろ説明してくれたことで、それだけ伝えたいことがあるところなんだという事で安心しました。

そして、何より利用者さん自身の顔が楽しそうでしたね。いくつか回ったけど一緒に回った人も、これはちょっとというくらい雰囲気に違和感があって。

どうしても施設の延長線上の雰囲気があったんです。今の所はそれがなくて。ここがいいなって。

い)これからどんな生活を送ってほしいですか?

母)家にこもっていないで、ドンドン外に出ていってほしい。支援日誌にもあったけど何処かの運動会にも参加してきたみたいだけど、それっていいなって思っているんで。そういう機会があったら行ってほしい。せっかく施設から出てきたんだからね。

い)同じような障害者を持つ親や家族に伝えたいことがあればお願いします。

母)きっと知らない人が多いんじゃないかと思う。

い)CILの知名度の問題ですね。

兄)特に知的はCILの利用者さんの数がそもそも少ないだろうし、重度訪問介護も知的が使えるようになったのも最近なんで。

どうしても知的を持つ家族は選択肢が、やはり自分たちの手に負えなくなったら施設だという風になっていると思うのです。でも、そもそも本人にとっての生活っていう事を考えた時に、生活の自由とか人として皆と同じように生きるっていう事を考えると、やはり施設に入れるっていうのはどう考えても一番じゃないと思うんです。

兄)家族は、ある程度自由を手にするために不安やリスクは出てくるのかもしれないが、本人の事を考えるならばやはり地域で暮らしていくことも視野に入れて考えてもらいたいなと。親の亡き後というのがどうしても強すぎて、その答えが施設だけじゃないんだと。

い)最後に一言あればお願いします。

母)始まったばかりで、これからが大変なんでしょうけど、見ててそれなりにうまくいっている様な感じがしているので期待してますね。

兄)時々会うとHの態度がヘルパーによって、ちょっとずつ違くて本人も良い顔しているし、僕をじゃなくて介助者を見てニコニコしていますから本当に安心しています。なんか使う言葉も変わってきてます。携帯を持つ環境になったら、出かける前に介助者に「携帯」と言ったりしてヘルパーが渡して自分でバッグに入れたりしているし。

母)日誌に書いてあったけど、冷蔵庫の中で無くなっていた食品がわかっていたり、あれは凄いよね。

兄)買い物も僕とかだったら、これが良いだろなと買っていたが、今は皆が頑張ってスーパーをグルグル回って本人が欲しいものが出るまで待ってもらって、無くなっていたものも本人がカゴにいれて帰ったら無くなっていたとか。僕ら家族と暮らしていたら起こる場面じゃない。そういうのが介助者との間で起こっているのですごく良いなと思う。

母)すごく刺激になっているよね。良い方向に。自分で考えて、気が付いて、そういう面もあるんだなと。今まで見えなかったものが気付かせてもらってる。

兄)この前、休みだと思って携帯にかけたら出なくて、その後、生活介護先から返信があって、携帯が鳴ったから自分の携帯をもって職員のところに渡しに行ったみたいで。わかってるんだなと思って。

母)今まではそんな事が出来るとは思っていなかったので。この3か月でHなりに刺激を受けているんだなと。

兄)本人にとって環境を用意するにしても、家族が用意する環境とヘルパーが用意する環境は違うと思うんです。僕らだとHの事を知ってる先入観とかあって、たぶん生活も僕らが思い描いているHとして用意した環境で生きていかなくてはならないが、今はそうじゃなくて。ヘルパーがHに対して先入観がない分、普通に色んな環境を用意してくれたり、出かけるとか、食べるとか、Hにとってもそれが一番良いことなんじゃないのかなと。

母)この辺しか出来ないと諦めてたわけではないが私たちは先に用意しちゃうからね。だから今までみえなかった部分があったと思うんです。ただ、一人暮らしをし始めてから、そういうのも出来るんだと新しい発見ができてる。

Hだけではなく、私達にもとても良い感じ。私達がいろいろ知ることができる。

兄)僕達と暮らしていたら見えなかった、知らなかったHのことがちゃんと聞ける。素晴らしいし、うれしいことです。

い)今日は良い話を聞かせていただきました。ありがとうございます。



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